黎明期
株式会社アイ・エス・アイは、宮城県にて個人創業の後、福島市瀬上の小さな三角地帯に「有限会社東北製版」として産声をあげました。
創業当初は製版から各種印刷まで、自社工程にて行っていましたが、この頃より各家電や電子製品などの飛躍的な躍進に伴い、スクリーン印刷での精密印刷が需要を伸ばしていき、それに伴い東北製版も業績を伸ばすこととなります。
株式会社アイ・エス・アイは、宮城県にて個人創業の後、福島市瀬上の小さな三角地帯に「有限会社東北製版」として産声をあげました。
創業当初は製版から各種印刷まで、自社工程にて行っていましたが、この頃より各家電や電子製品などの飛躍的な躍進に伴い、スクリーン印刷での精密印刷が需要を伸ばしていき、それに伴い東北製版も業績を伸ばすこととなります。
各メーカーからの依頼を受けるにつれ、コスト面などの問題もあり、製版部門は外注の方式をとり、当社はスクリーン印刷技術を向上させる方針へとシフトします。
それにより、印刷工程のロスが少なくなり、大規模な印刷受注も受けられるようになりますが、今度は工場が手狭になったため、瀬上三角地帯から福島県伊達市伏黒に移転を行い、規模を拡大させます。
その後も印刷技術の向上、受注体制の拡充などにより業績は飛躍的に伸びていきます。
業績を伸ばしつつあった東北製版ですが、1994年3月、工場の火災によりそのほとんどを消失し、会社存続の危機に立たされることになります。
しかし、そこで先代は工場の再建に踏み切ります。大規模な借り入れを行い工場を再建、そして何より残ってくれた社員、従業員の必死の努力により、工場消失時までの生産ラインを復興どころか、気付けば業績自体が飛躍的に伸びる結果となりました。
それにより、資本金を増資し、有限会社東北製版から株式会社アイ・エス・アイに商号変更し、更にスクリーン印刷の技術向上、生産ラインの増産を行っていきました。
株式会社アイ・エス・アイへの組織変更の後、平成15年7月に伊達市岡沼に工場を取得し、移転しました。この頃には携帯電話や光学機器などの印刷部門がピークを迎えており、工場としても施設拡充や従業員の増員を行い、生産体制は国内有数のスクリーン印刷会社として成長しました。
業績が順調に伸びている平成20年9月、代表取締役副社長、佐竹博志が代表取締役社長に就任しました。佐竹博志は、当社代表としてはもちろん、東北スクリーン・デジタル印刷協同組合の理事長や全日本スクリーン・デジタル印刷協同組合連合会の副会長なども兼任するなど、スクリーン印刷業界の向上のため注力します。
スクリーン印刷はその需要から大きく事業を拡大させてきましたが、徐々に陰りも見せつつありました。それは携帯電話など、精密印刷を必要とする製品を生産する工場が中国などを初めとした海外工場での生産が大幅に増えたことに要因があります。
また、大きく転換期となったのがサブプライム問題に端を発したリーマンショック、それによる世界的不況にありました。この頃よりアイ・エス・アイでは、海外印刷工場との競走において、品質よりも価格を優先するメーカーが増えてきたことにより、苦戦を強いられることが多くなります。
そんな折、ある出来事をきっかけに佐竹は「製版」というものを見直すことになります。
それは、「海外印刷工場では不可能なほどの精密印刷、アイ・エス・アイでしか出来ない技術の確立」でした。
会社としての転換期を試行錯誤していた2011年3月11日、東日本大震災が発生。
幸い工場自体には大きな損傷はありませんでしたが、従業員の関係者等々に少なからぬ人的被害や、その後の生活不安、そして福島第一原子力発電所事故などの影響により、工場は一時操業停止に追い込まれます。
工場自体は再生産体制を間もなく取り戻しますが、操業停止による空白期間、メーカーの生産体制の見直し、そしていわゆる風評被害などの影響により、以前のような操業は難しくなります。
他社、特に海外工場との競走において、アイ・エス・アイでは試行錯誤が続きます。
それに対しての一つの答えが「製版」でした。
もともと自社で製造していた製版を、外注に委ねることになったのは前述の通りですが、より高精度なものを求めた場合、弊害の方が大きいこともありました。
震災以前から製版部門は立ち上げてはいたものの、ここに注力し、より高精度なスクリーン印刷への挑戦が始まりました。
多方面の方々からの支援もありその技術は中堅、若手に注がれ、技術力は震災以前とは比べ物にならないほど飛躍的に伸び、それに伴い、製版、インキ調合、印刷、フィードバックなどが自社内で一貫して行えるため、スピードアップにも繋がり、クライアントから高い評価を受けるようになりました。
製版部門の拡充に伴い、従業員にも変化が生じ、現在では企画部門など、企画段階から参画する社員が増えました。その1例が、スクリーン印刷による高精細グラデーション印刷など、世界でも初となる技術の確立などがあります。
アイ・エス・アイは創業以来、さまざまな紆余曲折を経てきた当社ですが、これからも技術とそれを使う人、そしてお客様の満足のために、常に時代に応じた変化をし、常に世界品質、最高品質への挑戦を心がけていきます。
平成20年9月 | 代表取締役副社長、佐竹博志が代表取締役社長に就任 一般社団法人 日本印刷産業連合会より「印刷産業環境優良工場」に選ばれ、「(一社)日本印刷産業連合会 奨励賞」を受賞 |
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平成15年7月 | 伊達市岡沼の工場を取得し、伊達町伏黒より工場移転 |
平成13年12月 | 資本金を1,000万円に増資し株式会社に組織変更 社名をアイ・エス・アイに商号変更 |
平成1年2月 | 精密印刷の需要が増えたため移転拡大 |
昭和62年9月 | 福島県福島市瀬上に有限会社東北製版を設立 |
昭和49年9月 | 佐竹康男が宮城県にて佐竹スクリーンを個人創業 |
2015年4月1日現在